大阪高等裁判所 平成11年(う)274号 判決 1999年12月10日
主文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
本件控訴の趣意は弁護人明石博隆及び戸田正明連名作成の控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官福本孝行作成の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。
一 控訴趣意のうち、法令の解釈適用の誤りの主張について
1 論旨は、要するに、以下のとおりである。
原判決は、原判示の罪となるべき事実について、被告人に対し、刑法六〇条、平成一〇年法律第一九号による改正前の雇用保険法(以下「雇用保険法」ないしは「法」という。)八五条一号、四四条の罰条を適用した(以下条文を引用する場合には「第」を省略する。)。しかしながら、雇用保険法八五条一号は「四四条の規定に違反して偽りその他不正の行為によって日雇労働被保険者手帳の交付を受けた場合」と定めているところ、右四四条では「日雇労働被保険者は、労働省令で定めるところにより、公共職業安定所において、日雇労働被保険者手帳の交付を受けなければならない。」と規定されているので、法八五条一号の罪の構成要件の主体(以下「処罰対象者」ともいう。)に該当する者は日雇労働被保険者でなければならず、同法条はいわゆる身分犯と解すべきである。ところが、本件においては、日雇労働被保険者手帳の交付を受けた名義人であるCはもとより、被告人ら原判示の挙示する共犯者のうちには誰一人として日雇労働被保険者の身分を有する者はいないので、被告人に法八五条一号違反の罪の共同正犯が成立する余地はない。しかるに、原判決は、法八五条一号違反の罪は、身分犯ではあるものの、日雇労働被保険者に限らず、同条の各号列記以外の部分(以下「柱書」という。)に定める「その他の関係者」も処罰対象者になり得るとの解釈を採用し、被告人が「その他の関係者」に該当すると認定して前示のとおりの罰条を適用したものであって、原判決の右解釈には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈適用を誤った違法がある。
2 原判決が認定した(罪となるべき事実)は、検察官の公訴事実と基本的に同一であり、「被告人は、△△建設の名称でAが土木建設業を営んでいる旨称しながら、同様の名称で日雇労働者の労働者派遺業を営むBの従業員であるが、C、右B及び同人の従業員Dと共謀の上、不正に右C名義の日雇労働被保険者手帳(雇用保険被保険者手帳)の交付を受けようと企て、平成八年一月四日ころ、大阪市西成区萩之茶屋<番地略>所在のあいりん労働公共職業安定所において、同公共職業安定所業務第一課業務係官に対し、右Cが右B及び右Aのいずれにも雇用された事実はないのに、右Cが右△△建設の名称で土木建設業を営む右Aの従業員として雇用されている旨の内容虚偽の就労証明等を提出するなどして、同日、同所において、右係官から右C名義の日雇労働被保険者手帳の交付を受け、もって、偽りその他不正の行為によって日雇労働被保険者手帳の交付を受けた」というものであるところ、右事実に対して、原判決が刑法六〇条、雇用保険法八五条一号、四四条の罰条を適用したことは所論指摘のとおりである。
3 そこで、雇用保険法八五条一号について検討する。
(一) 雇用保険法八五条一号は「四四条の規定に違反して偽りその他不正の行為によって日雇労働被保険者手帳の交付を受けた場合」と規定しているところ、法四四条には「日雇労働被保険者は、労働省令で定めるところにより、公共職業安定所において、日雇労働被保険者手帳の交付を受けなければならない。」と規定されており、その表現上いわゆる名あて人限定型の義務規定となっている。これらの規定をみる限り、文理上は、法四四条に違反し得るのは日雇労働被保険者をおいて他になく、「偽りその他不正の行為によって日雇労働被保険者手帳の交付を受けた場合」の主体は、日雇労働被保険者と解釈するのが最も素直である。
(二) もっとも、法八五条は、その柱書に「被保険者、受給資格者等又は未支給の失業等給付の支給を請求する者その他の関係者が次の各号のいずれかに該当するときは、六箇月以下の懲役又は二〇万円以下の罰金に処する。」と定めて処罰対象者を複数列記しているので、このような規定形式からすると、柱書に列記された主体のすべてがそれぞれ同条各号の処罰対象者であると解する余地もある。現に、原判決は、その解釈を採用した。
しかしながら、右の解釈を前提とすると、右柱書の文言形式及び「その他の」に関する法令用語の通常の用法に照らし、「被保険者」「受給資格者等」「未支給の失業等給付の支給を請求する者」などの例示を受けた「関係者」が同条の処罰対象者を総称する者ということになるが、右の三つを例示とする上位概念としての「関係者」なる文言の意味内容は極めて不明確である。すなわち、「関係者」なる言葉は「何か」に関係して初めて明らかとなるものであるのに、右三つの例示に共通する有意な「何か」を見出すことは極めて困難であるからである。罰条の構成要件にそのように不明確な主体を定めていると解釈することは法的安定性を著しく損なうものとなって不合理である。
法八五条の柱書を原判決のように解釈すると、一号の処罰対象者として「日雇労働被保険者」の他に「受給資格者等又は未支給の失業等給付の支給を請求する者」も含まれることになるが、弁護人が的確に指摘するとおり、法一五条一項、一〇条の二などの規定に照らすと、これらの者はその性質上日雇労働被保険者が受給する求職者給付とはほとんど無縁の者であり、したがって、これらの者が日雇労働被保険者手帳の交付を受けるという場面を想像することは困難である。法八五条柱書についての右のような解釈は、各号それぞれの「場合」に想定される違反者と柱書が定める処罰対象者との間に不一致をもたらすことになるのであって、その不合理性が一層明らかとなる。
また、柱書を原判決のように理解すると、次のような不自然さがある。たとえば、法七六条一項と七七条を例にして検討してみると、行政庁がこの法律の施行に関して必要な報告、文書の提出又は出頭を命ずることができる相手方が、七六条一項では「事業主又は労働保険事務組合若しくは労働保険事務組合であった団体」であり、七七条では「被保険者、受給資格者等又は失業等給付の支給を請求する者」である点で異なるものの、それ以外は同じ内容であり、また、その罰則である八三条三号、八四条二号、八五条二号における処罰の対象となる行為もほぼ同様であるところ、処罰対象者は、七六条一項の関係では、八三条で「事業主」に、また、八四条で「労働保険事務組合の代表者又は代理人、使用人その他の従業者」にそれぞれ限定されているのに、もし、七七条の関係での八五条について原判決のような意味における「その他の関係者」概念を取り入れると、同条についてのみ「被保険者、受給資格者等又は失業等給付の支給を請求する者」に限定されず、処罰対象者の範囲が拡大するということになる。しかし、このように八五条の関係でのみ処罰対象者を拡大すべき合理的、実質的な根拠を見出すことはできないし、雇用保険法の罰則の組立ての統一性を害することにもなる。また、二号につき右のような指摘ができるのに対し、「その他の関係者」を一号の関係でのみ意味を持たせ、「被保険者その他の関係者」と読むことは、柱書の理解の仕方の統一性を欠くこととなり採り得ない(なお、ちなみに、法八六条一項のいわゆる両罰規定は、前三条、すなわち、八三条ないし八五条に適用されることが規定上明かであり、その点での処罰対象者の拡大は八三条ないし八五条に共通することである。)。
(三) それでは法八五条柱書の「その他の関係者」をどのように解釈すべきであろうか。その手掛りは前後の条文の文言の中に見出すことができる。
すなわち、法八五条三号は「七九条一項の規定による当該職員の質問に対して答弁をせず、若しくは偽りの陳述をし、又は同項の規定による検査を拒み、妨げ、若しくは忌避した場合」と規定し、そこに引用される七九条一項には「行政庁は、この法律の施行のため必要があると認めるときは、当該職員に、被保険者若しくは受給資格者等を雇用し、若しくは雇用していた事業主の事務所又は労働保険事務組合若しくは労働保険事務組合であった団体の事務所に立ち入り、関係者に対して質問させ、又は帳簿書類の検査をさせることができる。」(傍点は当裁判所)と規定されているところからすると、右三号の処罰対象者は七九条一項にある「関係者」を指すと理解するのが文理上素直な読み方である。そうすると、八五条柱書に列記される「関係者」もこの三号の処罰対象者としての「関係者」を示すものと解釈するのが文脈上最も自然である。右の解釈は、八五条柱書の「関係者」の前に「その他の」との文言が挿入されている点の意味内容と相俟ってさらに正当性が裏付けられる。すなわち、法八五条三号と同種の規定が八三条五号及び八四条四号に置かれ、七九条一項の「関係者」のうち「事業主」及び「労働保険組合の代表者、又は代理人、使用人その他の従業者」が処罰対象者とされているので、八五条三号の「関係者」は右八三条五号及び八四条四号以外の「関係者」であることを明らかにする必要があり、その意味で、条文をまたいだ形にはなっているものの、「その他の」の文言が挿入されたと理解することができる。そのように理解してはじめて、前示のとおり、法令用語の通常の用法からは有意な解釈を導くことができない「その他の」の文言の意味内容が明確となる。
この点について、労働省職業安定局雇用保険課編著の「雇用保険法(三訂新版)」(労務行政研究所刊)の法八五条の解説部分には「その他の関係者」の説明として「法七七条の規定により、被保険者又は受給資格者等の雇用関係及び賃金について質問された者をいう。」との解釈が示されている(六〇七頁、ただし「法七七条」とあるは、「法七九条」の誤植と認められる。)のも同旨の見解に立つものと思われる。
なお、法八五条の柱書を原判決のように解釈する場合、原判決がその「関係者」の概念をどのように解したかは必ずしも明らかではないけれども、本来例示として列記されるべき八五条三号の処罰対象者としての「関係者」が列記されていないことになり、仮に柱書掲記の全体を指す意味での「その他の関係者」の中に読み込み得るとしても、極めて不明確、不統一な規定ということになる。
(四) そうすると、法八五条柱書に列記された者は、すべてそれぞれ各号所定の行為の主体となると解するのは相当ではなく、弁護人の所論のとおり、柱書は各号それぞれの本来の主体をとりまとめて一括して表示したにすぎないものと解すべきである。このように一括表示したのは、「被保険者」に関しては一号と二号更には場合によっては三号の関係者としての処罰対象者ともなり得、「受給資格者等又は未支給の失業等給付の支給を請求する者」に関しては二号更には場合によっては三号の処罰対象者ともなり得、「その他の関係者」に関しては三号の処罰対象者となるところ、各号ごとにあるいは処罰対象者ごとに各別に規定を整備することの煩雑さを回避したものとみて不自然ではない。
以上、要するに、八五条各号それぞれの処罰対象者は、(1)同条一号については「被保険者(日雇労働被保険者)」であり、(2)同条二号については、同号が「七七条の規定による命令に違反して報告をせず、若しくは偽りの報告をし、文書を提出せず、若しくは偽りの記載をした文書を提出し、又は出頭しなかった場合」と規定し、七七条に「行政庁は、被保険者、受給資格者等又は未支給の失業等給付の支給を請求する者に対して、この法律の施行に関して必要な報告、文書の提出又は出頭を命じることができる。」と規定されているところからして「被保険者、受給資格者等又は未支給の失業等給付の支給を請求する者」であり、(3)同条三号については、「七九条一項の質問対象者としての関係者のうち八三条五号及び八四条四号による処罰対象者を除く者」であると解するのが罪刑法定主義、条文相互の論理的関係から自然で合理的な解釈であるというべきである。
もっとも、このように解すると、柱書には「……請求する者、その他の関係者」と、「、」あるいはこれと同様の意味を持つ文言を挿入すべきものであろうが、先に指摘してきたところからすれば、右の形式上の不備を処罰対象者の範囲を拡大する方向での解釈に影響させるべきではないと考える。
(五) 以上に反し、原判決は以下のような法令解釈を説示する。
すなわち、「(1)雇用保険法八五条の規定の形式及び文言上から、同条一号の主体を日雇労働被保険者のみと解することは困難であり、被保険者でなくても、「その他の関係者」を含む同条柱書に掲げる者らも、同号の主体になると解するのが素直である。弁護人が主張するように一号の主体を日雇労働被保険者に限定する趣旨ならば、法八五条は、端的に「次の各号に該当するときは、六箇月以下の懲役または三万円(当審注、罰金額については平成四年法律第八号により二〇万円に引き上げられた。)以下の罰金に処する。一、日雇労働被保険者が四四条の規定に違反して偽りその他不正の行為によって日雇労働被保険者手帳の交付を受けた場合、二、被保険者、受給資格者等又は未支給の失業給付を請求する者が七七条の規定による命令に違反して報告をせず、若しくは偽りの報告をし、文書を提出せず、若しくは偽りの記載をした文書を提出し、又は出頭しなかった場合、三、七九条一項の規定による当該職員の質問を受けた者が、その質問に対して答弁をせず、若しくは偽りの陳述をし、又は同項の規定による検査を拒み、妨げ、若しくは忌避した場合」と規定すれば足りるはずである。(2)実質的に考察しても、本号の規定は、不正な行為により被保険者手帳の交付を受けることを罰則を設けて防止し、雇用保険制度におけるあぶれ手当の支給を適正かつ円滑ならしめようとしたものと考えられ、かかる趣旨からすると、被保険者の行為に限らず、それ以外の者が不正な手段により被保険者手帳の交付を受ける行為を処罰により禁圧する必要があるのは明らかである(仮に弁護人の主張するように、既に日雇労働被保険者である者が自己の住所や氏名を偽って手帳の交付を申請するといった極めて限定的な場合にのみ同号が適用されるとするならば、軽微な手続違反行為に対して懲役六月以下の刑罰が科されることとなるところ、このような行為に対する罰則にしては法定刑が重きに過ぎ、その趣旨目的に照らし、甚だ不合理な結論となる。)。」という。
しかしながら、(1)の点は、前示したとおり、その一号の文理解釈からも、また、構成要件の明確性の観点からする合理的解釈からも賛成しがたいものである。確かに、原判決が説示するような構成要件であれば一層明確であるが(ただし、三については八三条五号及び八四条四号との関係が不明確である。)、そのような規定になっていないからといって、原判決が説示するような解釈をとらなければならない必然性はない。
次に(2)の点については、なるほど、日雇労働被保険者以外の者が被保険者手帳の交付を受けてこれを悪用するのを禁圧する必要性のあることは原判決が説示するとおりである。加えて、雇用保険法八五条一号の立法に当たって第三者の不正取得をも罰する意図があったものと推測することもできる。すなわち、①雇用保険法八五条一号は、その前身である失業保険法がその三八条の三第二項において「被保険者たる日雇労働者は、前項各号の一に該当することについて、その該当するに至った日から起算して五日以内に公共職業安定所に届け出て、日雇労働被保険者手帳の交付を受けなければならない。」と、さらに、その五四条一号において雇用保険法八五条と同じような柱書を置いた上、「三八条の三第二項の規定に違反して届出をせず、又は虚偽の届出をした場合」と規定していたのが、右失業保険法の廃止とそれに代わる雇用保険法の制定を機に右条項に相当する部分を届出行為ではなく手帳の受交付の行為を捉えて罰則を構成して八五条一号としたという経緯があり、右失業保険法五四条一号のうち「又は虚偽の届出をした」場合については柱書での制約がなければそれ自体は「何人も」が主体となると解することができる規定の仕方であったこと、②同種の立法例、例えば身体障害者福祉法四七条には「偽りその他不正の手段により、身体障害者手帳の交付を受けた者又は受けさせた者は、六月以下の懲役又は二〇万円以下の罰金に処する。」と規定されているところ、その処罰対象者が「何人も」であることが明らかであることなどから前示の意図がうかがわれるところである。しかし、立法者の意図がどうであれ、法令、特に罰則の解釈は不明確性を排し、客観的、合理的になされるべきであり、右のような立法意思を重視して、文理に反してまでも不明確な解釈に導くのは相当でない。
また、処罰対象者を日雇労働被保険者に限定するとすれば、その法定刑が重きに過ぎるとの原判決の指摘についても、同種の立法例、例えば、日雇特例被保険者が日雇特例被保険者手帳の交付を申請するに当たって虚偽の申請をした場合を処罰する健康保険法八八条ノ二ノ二、あるいは、被保険者が「資格の取得及び喪失並びに種別の変更に関する事項並びに氏名及び住所の変更に関する事項」を市町村長に届ける義務を履行するに当たって虚偽の届出をした場合を処罰する国民年金法一一二条一号などにおいても、いずれも六月以下の懲役又は一〇万円以下の罰金が定められていることなどからすると、雇用保険法の場合だけが特に重い処罰を定めたことになるとは一概にはいえない。
(六) なお、検察官は、その答弁において次のように主張する。すなわち「雇用保険法八五条一号を日雇労働被保険者に課せられた四四条の義務に違反した場合を処罰する趣旨と解釈すると、四四条が日雇労働被保険者に日雇労働被保険者手帳の交付を受ける義務を規定しているので、その義務違反行為は手帳の交付を受けないこととなるはずである。ところが、右一号は「偽りその他不正の行為によって日雇労働被保険者手帳の交付を受けた場合」を処罰の対象としており、手帳の交付を受けないことは処罰対象としていないこととなるのであるから、日雇労働被保険者に課せられた四四条の義務に違反した場合を処罰する趣旨とは解することはできず、引いては同号が日雇労働被保険者だけを処罰対象者としていると解釈するのは困難になる。むしろ、法八五条一号の立法の目的は、日雇労働被保険者以外の者が不正の手段により日雇労働被保険者手帳の交付を受ける実態が存したことから、このような事態を罰則をもって防止しなければならないとするところにあるので、「四四条に違反して」の趣旨も「四四条が予定している日雇労働被保険者手帳の円滑な交付制度に違反して」と解釈するのが相当である。」という。
確かに、日雇労働被保険者に課せられた法四四条の義務は作為義務であり、その違反行為は第一義的には当該義務の不作為すなわち、「日雇労働被保険者手帳の交付を受けない」ことであるが、同条が「労働省令に定めるところにより、公共職業安定所で、日雇労働被保険者手帳の交付を受けなければならない」(傍点は当裁判所)と定めているところからすれば、右不作為義務のほかに、労働省令に定められた適法な手続に従い、適正に手帳の交付を受ける義務をも定めていると解することも十分できるのである。そうすると、法四四条の違反行為の中には日雇労働被保険者が右義務に違反して適正でない方法により手帳の交付を受けた場合、たとえば、現行の労働省令(雇用保険法施行規則七二条)を前提にすれば、適用区域内に居住してはいるものの、住居の実体を伴わない同区域内の他の場所に居住しているなどとしてその住民票を届けるなどして住所を偽ったりあるいは資格取得日を偽って交付を受けた場合などが含まれると考えられ、「偽りその他不正の行為によって」という文言との間において極端に整合性を欠くことにはならないというべきである。なお、前示の第一義的な義務違反、すなわち、日雇労働被保険者手帳の交付を受けないことは、処罰対象としての行為から除外されていることになるが、このことについては、手帳の交付を受けることが、日雇労働被保険者にとって義務であると同時に、一方において、日雇求職者給付金の受給などの面において大きな利益を受けるという性格を有するものであることを考えれば、立法政策として十分に合理性のあることである。
さらに付言すると、当裁判所のような見解を採ると、八五条一号により処罰の対象となる行為は極めて限定されたものとなることは否定できないが、この点は、第三者をも処罰しようとの立法の意図を有していたと推測されるのに、失業保険法五四条一号、三八条の三第二項を引き継ぐに当たり、柱書を残し、また、「……の規定に違反して」との文言を残したという規定形式の不備から生じた問題といえるのであって、事後に解釈する場合にいずれの立場からしてもある程度の不自然さが残ること自体は避けられないところである。
また、検察官は、「八六条一項が法人(法人でない事務組合を含む)の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者が八五条各号の違反行為の主体となることを前提としていることから、その余の法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者は、八五条の「その他の関係者」に該当するというべきである。」とも主張する。
しかしながら、八六条一項が前三条全体に適用される規定であることは規定自体から明かであり、従って八五条の柱書の「その他の関係者」にも適用があるところ、更に「その他の関係者」の中にそれ以外の処罰対象者を想定することは論理的に採り得ない。
(七) 以上のとおりであって、雇用保険法八五条一号は、処罰対象者が日雇労働被保険者に限定される身分犯であると解釈するのが正当である。原判決は、同号の処罰対象者に「その他の関係者」も含まれると解釈した点でその解釈を誤っているというほかはない。
ところで、日雇労働被保険者については、法四三条に「被保険者である日雇労働被保険者であって……」と規定され、「被保険者」については法四条一項に、また、「日雇労働者」については法四二条にそれぞれ定義規定が置かれているところからして、日雇労働被保険者は法の予定する実体を備えた者であることが必要であり、法全体の趣旨からすれば、右四二条中の「雇用される」ことの要件として、必ずしも雇用の実績があることは要しないものの、少なくとも日雇労働者としての労働の意思及び能力を有することは必要であると解すべきである。雇用保険法の各条文の中で法八五条一号の関係においてのみ法の予定している要件が必要でないとし、手帳の交付を受けた者がすなわち日雇労働被保険者に他ならない、との解釈を採ることはできない。そして、本件公訴事実をはじめとする検察官の主張及び原判決の認定事実によれば、不正に日雇労働被保険者手帳の交付を受けたCはもとより被告人以下の本件共犯者は、いずれも日雇労働者として労働の意思を有しておらず、従って、法四条一項に定める被保険者及び法四二条に定める日雇労働者には該当せず、誰一人として日雇労働被保険者の身分を有しないことが明らかである(なお、原判決及び検察官もこのことを前提としている。)。
そうすると、原判決の認定した被告人の行為に対しては、刑法六〇条、六五条を適用しても、雇用保険法八五条一号、四四条を適用して処罰する余地はない(なお、本件では雇用保険法八六条一項を適用する余地もない。)。それにもかかわらず、これらを適用して被告人に対し有罪の認定をした原判決には、法令の解釈適用の誤りがあり、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである。
論旨は理由がある。
二 よって、本件控訴は理由があるので、その余の論旨についての判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄することとする。
なお、被告人らの原判決認定の行為は、欺罔的方法により公共職業安定所から日雇労働被保険者手帳を騙取したとみる余地があり、従って、日雇労働被保険者手帳が財物に当たるか否かなど、刑法二四六条の詐欺罪適用の検討の余地がないではない。しかしながら、前示のとおり、雇用保険法八五条一号の罪を、日雇労働被保険者手帳の不正受交付の関係で刑法の罪の特別規定とした立法意図が窺われ、検察官においてはその趣旨に則って本件を起訴したとみられるところ、右の立法や起訴の意図が功を奏しなかったからといって、すでに相当長期間に及ぶ審理を経た現段階にあって、本件につき改めて詐欺罪の適用を検討することはもはや相当ではないものと考え、本件については、当審において更に審理を尽したり、原審に差し戻したりせずに、この段階で当裁判所において自判するのが相当であると判断した。
従って、刑訴法四〇〇条ただし書により当裁判所によりさらに判決する。
三 本件公訴事実の要旨は「被告人は、△△建設の名称でAが土木建設業を営んでいる旨称しながら、同様の名称で日雇労働者の労働者派遺業を営むBの従業員であるが、C、右B及び同人の従業員Dと共謀の上、不正に右C名義の日雇労働被保険者手帳(雇用保険被保険者手帳)の交付を受けようと企て、平成八年一月四日ころ、大阪市西成区萩之茶屋<番地略>所在のあいりん労働公共職業安定所において、同公共職業安定所業務第一課業務係官に対し、右Cが右B及び右Aのいずれにも雇用された事実はないのに、右Cが右△△建設の名称で土木建設業を営む右Aの従業員として雇用されている旨の内容虚偽の就労証明等を提出するなどして、同日、同所において、右係官から右C名義の日雇労働被保険者手帳の交付を受け、もって、偽りその他不正の行為によって日雇労働被保険者手帳の交付を受けたものである」というのであるが、これが罪とならないことは前示のとおりであるから、刑訴法三三六条により被告人に対し無罪の言渡しをすることとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 森眞樹 裁判官 伊東武是 裁判官 多和田隆史)